昭和館を訪れたら、その周辺にも足を延ばしてみませんか?
昭和館付近には、多くの史跡、また美術館、博物館などがあり、また北の丸公園内は緑が多く散策にはぴったりです。
散策なさる際のご参考にどうぞ。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、先の大戦において海外で亡くなられた戦没者の遺骨を納めるために、昭和28年12月の閣議決定「無名戦没者の墓に関する件」に基づいて、同34年に建設されました。ここに収められている遺骨は、昭和28年以降政府派遣の遺骨収集団が収集したもの、および戦後海外から帰還した部隊等 が持ち帰った戦没者遺骨のうち、遺族に引き渡すことができない遺骨を納めています。(これまでの納骨数は約35万柱)
この千鳥ヶ淵周辺は、皇居を囲むお濠の中で、特に桜の名所として親しまれています。
現在の靖国通りから千鳥ヶ淵緑道に入った所にあるインド大使館近辺から戦没者墓苑までの一帯は、寛政年間(1789~1801)から幕末まで、火除明地 兼薬草園として使われた江戸幕府の御用地でしたが、明治維新から明治9年頃まで政府の官有地となりました。戦没者墓苑の敷地は、東京大学の前身である開成 学校物産地として当時使われていましたが、明治10年代から閑院宮邸、大正末期には賀陽宮邸など、その後宮内大臣官邸として使用され、昭和20年の米軍空 襲により大臣官邸も宮邸も焼失し、墓苑が建設されるまで焼け野原でした。
千鳥ヶ淵は、田安門前の土手築堤によってできた人工湖で、千鳥が翼をひろげた形に似ていることから「千鳥ヶ淵」と名付けられました。また、人工湖千鳥ヶ淵の水面は、牛ヶ淵の水面より約12m高くなっています。
昭和館は、戦没者遺族の援護施策の一環として、戦没者遺児・遺族をはじめとする国民が経験した戦中・戦後の国民生活上の労苦を後世代に伝えていくことを目的に、平成11年3月に厚生労働省が建設したものです。
昭和館の敷地は、もと九段会館の駐車場でしたが、それ以前は靖国神社の附属地で(明治36年から同神社の避難地)、江戸時代の安政2年(1855)には この場所に洋学所(のちの蕃所調所)が置かれ、村田蔵六(後の大村益次郎)も勤めていたと言われています。また、この敷地からは貝塚(縄文・弥生式土器時代の遺跡)が発見され、その記念碑「貝塚碑」が残されています。
隣接する九段会館は、昭和9年に予備役、後備役の軍人の収容訓練施設として在郷軍人会によって建設された軍人会館で、昭和初期に流行した和洋折衷様式を 用いた帝冠洋式の建物です。2年後の2・26事件の時には、ここに戒厳司令部が置かれました。終戦後は連合軍に接収され、米駐留軍の宿舎として使用されま した。昭和32年1月に米駐留軍から返還され、10月には遺族福祉を目的とした「九段会館」が開館しました(現在は営業しておりません)。
かつての九段坂は、現在のようななだらかな坂ではなく、もっと急な坂でした。九つの段があり、それぞれに長屋があったといわれています。
九段坂上は、江戸時代には火除地、御用明地騎射馬場として使用されていましたが、明治2年6月、当時の三番町歩兵屯所跡に戊辰戦争の戦没者を祀るための招魂社が創建され、その後明治12年に靖国神社と改称されました。
靖国神社前では明治4年から34年まで競馬が行われていたとのことです。
当時の九段坂は坂が急で、電車を走らせることが困難であったため、明治40年に市ヶ谷駅前から靖国通りを通り、九段坂上で右折して千鳥ヶ淵に至る市街電車が走るようになりました。
北の丸公園は、森林公園として整備された国民公園です。
江戸時代、江戸城の総構が完成したのは、寛永年間(1624~44)三代将軍家光の時代ですが、北の丸には、三男長松(甲府宰相綱重)や春日局(家光の乳母)、天樹院(千姫)、弟の駿河大納言忠長の屋敷などがありました。その後、享保16年(1731)に御三卿の田安家と清水家の屋敷地となり、幕末まで続きました。
明治になると近衛兵の兵営(近衛師団司令部)が置かれ、昭和44年には昭和天皇の還暦を記念して、北の丸公園として整備し、一般に開放されるようになり ました。明治43年に建設されたレンガ造りの近衛師団司令部庁舎は、東京国立近代美術館の分室(工芸部門の工芸館)として使用されていましたが、2020年2月28日の移転により閉館しました。
平成11年10月7日に開館したこの図書館は、靖国神社に奉られた方が戦死された当時の状況の調査資料や、日本近代史研究のための資料約10万冊が納められています。
明治維新以降、靖国神社にまつられる人々の遺品を中心に、古武具、錦絵、大平洋戦争当時の武器などを収蔵、展示している。
神門
明治維新以降、靖国神社にまつられる人々の遺品を中心に、古武具、錦絵、大平洋戦争当時の武器などを収蔵、展示している。
千代田区九段下北3-1-1
昭和館→徒歩5分
地下鉄東西線、半蔵門線、新宿線で、いずれも九段下で下車、徒歩3~4分。
桜の献木が多く、東京の桜開花宣言はここを基準に出される。季節ごとにサクラソウ、花菖蒲、アサガオ、菊など、花の展示会がある。
第一鳥居から第三鳥居までの参道は、よく育ったイチョウ並木が冬に美しい姿で目を楽しませてくれる。外国人の参拝も多い。
靖国神社の前身は、東京招魂社といい、明治2(1869)年6月創建された。この創建に尽力したのが大村益次郎である。幕末、国事に奔走し、中途に倒れた志士を京都東山の祀堂へ祭ったのをはじめとする。遷都の後、江戸は東の都、東京となり、東山の祀堂も移され九段招魂社とよばれた。明治8年(1875)、太政官布告で、明治元年以前、旧藩々に於いて殉職死し、その後名前が判らず祭祀等に漏れていた人々を広くさがし出し、招魂社へまつった。つまり、東京招魂社は幕府政治体勢の霊を慰め、その遺志を長く記念するための神社として設立されたのである。
敷地は縦長で、第一鳥居から第二鳥居、神門、寝殿造りの拝殿、神明造りを模した本殿、そして靖国特有の霊璽簿奉安殿が、まっすぐに通っている。境内右手には能楽堂、戦争資料を集めた遊就館、軍犬、軍馬慰霊像、戦争で父を失った遺児たちが建てた母の像、などがある。
神社入り口の狛犬
表情がなんともいえず愛嬌がある。
大村益次郎の像
拝殿
軍馬慰霊像
拝殿
昭和館→徒歩8分
他に周囲には英国、イスラエル、ニュージーランド公使館、ベルギー大使館、ローマ法王庁公使館などがある。
昭和館前
古くは飯田橋、飯田町橋ともよばれる。坂上は観月の名所として有名な常灯明台がある。かつて九段坂はその名の通り段があり、現在のようになったのは関東大震災の復興工事後である。
靖国神社の献灯、東京湾に入港する船の目標でもあった、常灯明台。
陸軍大将、大山元帥像
昭和館→徒歩3分
田安門
昭和館→徒歩3分
江戸城以来の古建築で国の重要文化財。天下祭りの明神の山車行列がくりこんだ入口。田安門前の常灯明台は、靖国神社の献灯兼東京湾に入港する船の目標だった。
日本武道館
千代田区北の丸公園2-3
昭和館→徒歩5分
昭和39年に東京オリンピックの柔道会場となったところで、「武道の殿堂」として知られる。現在は、入学式やコンサートなど様々な種類のイベント会場として使われている。法隆寺夢殿を模した八角形の建物の上には宝珠が輝き、遠くからでも一目でそれとわかる特徴的な外観。
たまねぎではない!
九段会館テラス
千代田区九段南1-6-5
昭和館→徒歩1分
旧九段会館の一部を保存・復原・増築して令和4年に竣工。
しょうけい館 (戦傷病者史料館)
千代田区九段北1-11-5 グリーンオーク九段 2階、3階
昭和館→徒歩3分
戦傷病者とそのご家族のご労苦を展示、映像、体験記等でお伝えしている。入館無料、ご来館ください。
しょうけい館は、戦傷病者とそのご家族等が戦中・戦後に体験したさまざまな労苦についての証言・歴史的資料・書籍・情報を収集、保存、展示し、後世代の人々にその労苦を知る機会を提供する国立の施設である。
千代田区九段南1-6-12
昭和館→徒歩4分
平成27年 旧千代田区役所跡に九段坂病院が移転。
現在の千代田区役所は旧千代田区役所の右はす向かいである。
吉田茂像
昭和館→徒歩12分
昭和館→徒歩3分
昭和44年、旧北の丸は北の丸公園として造園、一般公開された。坂上側の堀が桜の名所千鳥ヶ淵、坂下側が牛ヶ淵。広い敷地内には、日本武道館、科学技術館、東京国立近代美術館、科学博物館、国立公文書館、東京国立近代美術館分室が集中し、豊かな緑とともに人々の憩いの場になっている。樹木には表示板がつけられ、緑のオリエンテーリーングも楽しめるようになっている。
緑陰を求めて訪れる人も多い。豊な緑が都会の喧噪を忘れさせてくれる
緑のオリエンテーションも楽しめる
ひっそりとした佇まいの納骨堂
昭和館→徒歩19分
国立の「無名戦没者の墓」として昭和34年3月に竣工した。この「墓苑」には、政府が昭和28年1月から太平洋戦争で戦没された方々 のご遺骨の収集を海外において実施しているが、この収集により故国へ持ち帰られたご遺骨のうち、氏名が特定できないため、ご遺族に引き渡す ことができないご遺骨が納骨されている。 昭和34年3月の竣工の際には、行政機関に仮安置中の約8万7,000柱のご遺骨が納骨され、平成11年5月現在、 計約34万6,000柱のご遺骨が納骨されている。
美しい遊歩道は散歩に最適
遊歩道の途中にある銅像
昭和館→徒歩15分
内濠が深々と切れ込んでいるところで、千鳥ヶ淵公園と呼ばれる桜とボートの名所。公園脇の、千鳥ヶ淵から半蔵門、外桜田門にかけて続く堀端は散歩道に最適。春は桜が素晴らしい。
【千鳥ヶ淵ボート場】
一度は乗ってみたい千鳥ヶ淵のボート
詳細は千代田区役所HP 千鳥ヶ淵ボート場をご確認ください
昭和館→徒歩15分
日本の伝統工芸品や現代工芸品が展示されている。旧近衛師団司令部庁舎(国重文)で、ゴシック風の洋風レンガ造りの建物。
建物脇にある近衛兵の銅像
※令和2年金沢に移転「国立工芸館」として再開館する。
千代田区北の丸公園2-1
昭和館→徒歩13分
日本で最も大きい総合科学館。シカゴやミュンヘンの博物館を参考に昭和39年に建てられた。上から見ると手を広げたような形で、技術の基本は「手」であることを象徴している。宇宙科学から農業まで、模型や実験装置を展示して科学知識の普及に努めている。
千代田区北の丸公園3
昭和館→徒歩19分
2002年に展示品取り替え、内装工事後活動を再開、2012年に所蔵品ギャラリーの大規模リニューアルを行う。
千代田区北の丸公園3-2
昭和館→徒歩17分
国の各行政機関から受入れた歴史資料として重要な公文書等を保存し、閲覧、展示などに供するとともに、その有効な活用をはかるための調査研究を行う機関として昭和46年7月1日に発足した。図書館、博物館とならび文化施設として重要な役割を担っている。平成10年には筑波研究学園都市内に分館を設置し、書庫の拡充をはかっている。