この展覧会は令和4年7月16日(土)~9月4日(日)に開催され、好評の内に終了しました。
昭和館に隣接する九段会館は、昭和3年(1928)昭和御大礼記念事業の一環として建設が計画され、昭和9年に竣工・落成しました。設立当時は「軍人会館」と呼ばれ、昭和11年の二・二六事件が勃発した際には戒厳司令部が設置されるなど、激動の昭和史に大きく関わった施設です。戦後は日本遺族会による運営のもと、結婚式場、宿泊、ホールとして、多くの方々に利用されました。帝冠様式の威風堂々とした九段会館の姿は、九段下の象徴的な景観として長く親しまれています。
現在、大規模な改修工事を経て、令和4年(2022)7月竣工、同年10月3日に九段会館テラスとして開業される予定です。本企画展では、昭和の激動を見つめ続けた九段会館の歴史を紐解きます。
主催 | 昭和館(厚生労働省委託事業) |
後援 | 千代田区、千代田区教育委員会 |
会期 | 令和4年7月16日(土)~9月4日(日) |
会場 | 昭和館3階 特別企画展会場 |
入場料 | 無料 |
開館時間 | 10時~13時30分(入館は13時まで) 14時~17時30分(入館は17時まで) ※13時30分~14時の間は館内清掃のため入館できません。 |
休館日 | 毎週月曜日(7月18日、8月15日は開館、7月19日は休館) |
チラシ | 「九段会館がみた昭和」チラシ |
九段会館の前身である軍人会館は、昭和9年(1934)、帝国在郷軍人会によって設立されました。
軍人会館設立の趣旨は、昭和6年、昭和天皇より帝国在郷軍人会へ一金5万円の御下賜金を賜わったことを永久に記念するためというものでした。昭和7年2月起工、2年の歳月を経て昭和9年3月に竣工・落成しました。
建設費は当時の金額で250万円を要し、南満洲鉄道株式会社から100万円の寄附があり、さらに現役軍人、予備・後備役の在郷軍人はもとより、広く一般からの寄付金を仰ぎ、250万円余が集まりました。
開館後は、帝国在郷軍人会の本部が設置されるとともに、在郷軍人たちを中心とした宿泊施設、ホールとして活用されました。
軍人会館競技設計図集
(一等当選 小野武雄案)
帝国在郷軍人会の主導によりコンペで選定された設計計画案。選考条件として「容姿ハ国粋ノ気品ヲ備へ荘厳雄大ノ特色ヲ表現スル」ことがあげられおり、瓦葺の勾配屋根を冠した帝冠様式の設計案が採用された。
昭和5年(1930)
軍人会館落成記念 文鎮
高村豊周(高村光雲の三男)による銘が入った記念文鎮。扇の上に兜と桜があしらわれている。
昭和9年(1934)3月
軍人会館の歴史の中で、最も大きな出来事は、昭和11年(1936)の二・二六事件を鎮圧するために戒厳司令部が置かれたことでしょう。まさに激動の昭和史をみつめた建物であったといえます。
国家改造を唱えて蹶起した青年将校の指揮する叛乱部隊は、昭和11年2月26日早朝、首相官邸、陸軍省、警視庁、新聞社などを襲撃しました。この部隊を鎮圧し、首都の治安を維持するため、2月27日午前3時30分、東京全市に戒厳令が布かれました。東京警備司令官の香椎浩平陸軍中将が戒厳司令官に任ぜられ、戒厳司令部が軍人会館に設置されました。司令部は2階集会室、司令官室は同じ2階の理事室が当てられました。
叛乱鎮圧の決め手となったラジオ放送「兵に告ぐ」の文案は、軍人会館2階司令部で起草され、2階映写室から放送されました。
軍人会館「兵に告ぐ」放送原稿設計図集
昭和11年2月29日午前8時48分、軍人会館内にある映写室よりNHKの中村茂アナウンサーが読み上げた原稿。東京ローカルのラジオ放送で流された。
昭和11年(1936)2月
NHK放送博物館提供
軍人会館2階理事室
戒厳司令部が設置された際は、司令官室として使用された。
戦中
一般財団法人日本遺族会提供
軍人会館は、昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲の被害を免れ、終戦を迎えました。帝国在郷軍人会は解散団体に指定され、軍人会館は昭和20年9月14日にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)を迎え入れました。接収後は、「アーミーホール(Army Hall)」と称ばれ、進駐軍士官の宿舎・食堂・慰労施設として活用されました。とくに1階劇場ホールは音響効果が優れた劇場として評価されました。
昭和27年のサンフランシスコ講和条約発効以後は、在日米軍としての接収が継続されたものの、日本政府による旧軍人会館払い下げを求める声が大きくなり、昭和32年1月7日に接収が解除されました。
アーミーホール
昭和21年(1946)8月
CARMEN JOHNSON COLLECTION,
GENERAL DOUGLAS MACARTHUR FOUNDATION
日米ガールスカウトの友好会
アーミーホールで開催された在京アメリカンガールスカウトと日本ガールスカウトの友好会。
昭和25年(1950)年2月25日
朝日新聞社提供
昭和22年(1947)11月に結成された日本遺族厚生連盟は、旧軍人会館を払い下げてもらい、遺族の福祉のために活用したいという要望を受けて、昭和26年から払い下げ陳情をおこないました。
昭和28年3月11日、日本遺族厚生連盟は発展的に解消し、財団法人日本遺族会が設立されました。同年8月7日の第16回国会において「財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律」が成立し、同年8月12日に公布されました。昭和32年1月7日、GHQより日本政府に対し、旧軍人会館の返還がなされ、日本遺族会による管理が開始されました。建物内部の改修工事ののち、昭和32年4月23日、役員会において旧軍人会館の名称を「九段会館」と改称し、同年5月28日、大蔵省とのあいだに無償貸付の契約が成立、同年10月1日に晴れて開館の運びとなりました。
「九段会館の発足」(日本遺族会事務局)
発足当時の九段会館職員は戦争未亡人・遺児を中心とした職員構成であった。宿泊・ホール・食堂・婚礼等を中心とした事業を展開していった。
昭和34年(1959)7月1日
一般財団法人日本遺族会蔵
ステンドガラス(ホール天井)
ホール天井中央にあったステンドガラスは、九段会館テラス保存棟4階のエレベーターホールで再利用される。
東急不動産株式会社蔵
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