夏休みも終わり、秋の運動会シーズンがやってきます。今年も多くの学校や自治会などで歓声が聞かれることでしょう。
戦前は会社でも運動会が行われ、大阪の百貨店では「店員大運動会」が開かれていましたが、日中戦争の勃発で中止になっていました。昭和14年(1939)10月に厚生省(当時)が新たに発足させた体育奨励策により「厚生体育大会」と改称し、3年ぶりに運動会が復活しました。
しかし、昭和16年12月に太平洋戦争が始まったために、その1か月前の11月10日に花園ラグビー場(大阪)で開催された運動会が最後になってしまいました。以前のパン食い競走やダルマ運びなどが姿を消し、薙刀演技や「国防競技障碍物通過競走」など、戦時色が反映された種目が見られるようになりました。今回は昭和16年の最後の運動会(厚生体育大会)の様子を紹介します。
「ラジオ体操」
(昭和16年11月10日)
(1)写真の展示 額入りでの展示
(2)映像コーナー
1.「第5小学校 第5回秋季大運動会」 (記録映像、音声無、昭和12年10月10日、4分8秒)
2.「東京府女子団体訓練体育大会」 (読売ニュースNo85、昭和13年11月6日、30秒)
3.「商店厚生運動会(川崎)」 (読売ニュースNo119、昭和14年6月、55秒)
4.「出征軍人家族慰安大運動会(横浜)」 (アサヒホームグラフNo41、昭和15年4月、1分20秒)