今年からちょうど70年前の昭和19年(1944)6月30日、閣議において、「学童疎開促進要綱」が決定され、東京都、神奈川県、大阪府など都市の国民学校3~6年生約40万人を、空襲の恐れの少ない地方へ集団で疎開させることになりました。
疎開した児童はお寺や旅館などの宿舎で共同生活をしました。食糧不足で空腹をガマンしたり、十分な学習ができない学校生活で苦労をした多くの児童は、長期間親もとを離れて淋しい思いをしながら、疎開生活を送ったことでしょう。そこで、今回は疎開生活を送っている児童たちを収めた写真を紹介します。
「さつまいもの収穫 昭和19年」
(1)額入りで展示
(2)ガラスケースで展示
【東京女子高等師範学校附属国民学校の集団疎開の様子(久米川)】(昭和19年頃)
(3)映像(昭和館オーラルヒストリー)