昭和館

資料公開コーナー

第54回【資料公開コーナー】日本人とテニス

平成27年1月6日(火)~3月8日(日)

昨年(平成26年)のスポーツ界は、野球やアイススケートなどで日本の選手が活躍した年でした。なかでもテニスでは、錦織圭選手が大活躍したことは記憶に新しく、今年もますますの活躍が期待されます。

日本にテニスが入ってきたのは明治20年頃(1880~1890年代)といわれ、硬式ボールが入手できないため、軟式テニスから始まり、その後、軟式テニス出身の熊谷一弥、清水善造選手らが世界で活躍しました。大正10年(1921)には日本庭球協会が創立され、国別対抗戦であるデビスカップ国際試合(デ杯)にも参加するようになりました。昭和7・8年のデ杯では佐藤次郎選手が活躍し世界に知られるようになりました。その後、ボールも配給制となるなど、戦争の影響があらわれ、テニス人気は次第に衰退し、昭和15年からデ杯への派遣は中止されました。

戦後は、学生を中心に再びテニス人気が高まり、昭和26年にはデ杯に復帰し、昭和30年には日本で初めてデ杯東洋ゾーン大会が開催されました。また、昭和33年には当時の皇太子(現天皇陛下)が公式試合(鎌倉庭球)に初出場、御成婚後も皇太子御夫妻のテニスをする様子がテレビで放映され、テニス人気は全国的に高まりました。

今回は、戦前から戦後のテニス競技の様子などを写真と映像で紹介します。

「サーブをする選手 第13回神宮国民錬成大会における庭球の競技」
(昭和17年10月 東京)

展示内容

(1)額入りで展示

写真(1)ラケットを持つ旧高崎商業高校(現:高崎商業高等学校)の男子学生
写真(2)東京日産厚生園開園記念 軟式庭球試合(昭和15年 東京)
写真(3)ダブルスの試合(昭和17年10月 東京)
写真(4)サーブをする選手(昭和17年10月 東京)
新聞(1)『NIPPON PRESS 日本写真新聞』第681号(昭和30年6月8日付)
    「デ杯、東洋ゾーン 日本の優勝に決る」
新聞(2)『NIPPON PRESS 日本写真新聞』第697号(昭和30年10月12日付)
    「豪、デ杯チーム、賑かに来日す さん然と輝くデビスカップを披露」
新聞(3)『日本写真新聞フォトニュース』第787号(昭和32年5月8日付)
    「デ杯東洋ゾーン準決勝 セイロン(現スリランカ)に圧勝 日本庭球世界水準に近づく」
新聞(4)『日本写真新聞日写フォトニュース』第912号(昭和34年6月17日付)
    「テニスを楽しむ皇太子御夫妻(現天皇皇后両陛下) 笑顔に包まれボールははずむ」

(2)ニュース映画上映

映像(1)「読売国際ニュース」第324号。昭和30年6月頃。1分10秒。
    「デ杯戦東洋ゾーン(東京)」
映像(2)「朝日ニュース」第531号。昭和30年10月頃。47秒。
    「デ杯選手の妙技—日豪テニス 田園コロシアム」
映像(3)「中日ニュース」第225号。昭和33年5月頃。1分42秒。
    「フィリピン日本破る-デ杯テニス-」
映像(4)「中日ニュース」第239号。昭和33年8月頃。1分51秒。
    「軽井沢のプリンス」
映像(5)「朝日ニュース」第697号。昭和33年12月。1分19秒。
    「お二人でテニスを」

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