第60回【資料公開コーナー】九段界隈の移り変わり
平成28年1月26日(火)~5月8日(日)
昭和館が立地する九段という地名は、江戸時代に急峻な九段坂に作られた広い九つの石段が由来といわれています。大正12年(1923)9月1日の関東大震災を契機に、大正15年(1925)に帝都復興事業の一環として九段坂の大工事が実施され、昭和8年(1933)に現在のなだらかな坂に改修され、路面電車も通るようになりました。
九段坂界隈には、軍人会館、偕行社(陸軍関係の施設)、野々宮アパートなどの重要な施設が点在していましたが、これらの施設は、戦後、GHQ(連合国総司令部)によって接収されました。
昨年、九段会館の建物の建て替えが決まり、今後九段界隈の景色は様変わりすることになるでしょう。そこで今回はこれまでの九段界隈の風景の移り変わりを写真と音楽で振り返ってみます。
上空から見た軍人会館(九段会館)周辺
昭和20年9月5日、東京都千代田区、米国立公文書館提供
展示内容
【1】写真展示(額入り)
- 九段坂下の交差点 昭和8年、東京都千代田区
- 大日本帝国憲法発布から50 年を祝う人々 昭和15年11月29日、東京都千代田区、インペリアル・ウォー・ミュージアム提供
- 大日本産業報国会の行進 昭和17年6月頃、東京都千代田区、石川光陽撮影
- 空襲を受けた九段下交差点 昭和20年3月11日、東京都千代田区、石川光陽撮影
- 空襲を受けた九段坂上周辺 昭和20年3月11日、東京都千代田区、石川光陽撮影
- 接収された軍人会館(九段会館) 昭和20年12月頃、東京都千代田区、米国立公文書館提供
- 野々宮アパート 昭和22年10月10日、東京都千代田区、米国立公文書館提供
- 釣りをする人びと 昭和22年頃~36年頃、東京都千代田区、マッカーサー記念館提供
九段界隈の地図(昭和22年、国土地理院提供)
【2】ケース展示(アクリルケース1台で展示)
- 絵はがき「九段より市中を望む」明治40年~大正12年頃
明治40年(1907)に牛ヶ渕と千鳥ヶ淵の土手を掘削することで、なだらかなカーブを作り路面電車を通した。
- 『東京市全図』(大正七年(1918))
- 『東京 九段坂付近 復興工事記念写真帖』施工者 前田組合資会社
【3】SPレコード
- 九段の誉 上原敏
- 九段のさくら 東海林太郎
- 父は九段の桜花 杉山美子 注)昭和館では同名の紙芝居を所蔵している
- 九段の母 塩まさる
- 九段ざくら 菊池章子/コロムビア児童合
- 九段の父 小野 巡
- 九段精華學校校歌 九段精華高等女學校生徒・九段精華小學校生徒
注)東京大空襲の空襲により校舎が全焼したため校長が廃校宣言し、敗戦とともに校舎跡地は米軍に接収され、駐車場として使われた。学校関係者は接収解除の嘆願書を持って米軍司令部、関係官庁をまわり奔走したが、復校ならず、最後の第30回、31回卒業生は焼け跡で涙ながらに校歌を歌い卒業式をした。(『千代田区女性史』 第2巻、 千代田区編、ドメス出版、平成12年)
- 九段の母 天中軒雲月