昭和20年(1945)3月10日未明、アメリカ軍による東京の下町地区への大空襲が始まりました。約300機のB29が東京の下町である東部一帯へ、約2時間半に渡って約1,700トンの焼夷弾を投下し続けました。東京大空襲の死者は約10万人、負傷者約4万人、焼失家屋約26万7千戸、約100万人の人々が罹災したと言われています(※)。
画家の村岡信明氏は深川区(現・江東区)で育ち、13歳の時に清澄庭園で東京大空襲の一夜を過ごしました。その体験を次世代に伝えるため、目の当たりにした空襲の惨状を絵画などで表現し、平和を願う活動を行っています。
東京大空襲から80年を迎える今年、その記憶を後世に伝えてゆくために、村岡信明氏が描いた絵画と自作の詩を併せて、1階ロビーと5階ギャラリーでご紹介します。
(※)総務省HP「一般戦災死没者の追悼」より
プロフィール
村岡 信明(むらおか のぶあき)
昭和7年(1932)1月 深川区(現・江東区)清澄に生まれる。
昭和20年(1945)3月10日 大空襲を経験。 清澄庭園に避難(当時13歳)。
戦後、東京大空襲の体験を《死と生と記憶》として、油絵・墨痕画・スケッチなどで描きつづける。
平成7年(1995)3月 東京大空襲50周年〈第5回 東京都平和の日〉記念行事として絵画展「レクイエム東京大空襲展」を開催。
平成11年(1999) 『赤い涙 東京大空襲・死と生の記憶』(クリエイティブ21)刊行
ロシア国立モスクワ・スリコフ芸術大学名誉教授。
【1階ロビー:第1期】(実物9点・複製パネル1点)
①「悪魔の鳥がやって来た。」
②「冷たい防空壕の中で」
③「数千人の避難民が家の前を通り過ぎていく」
④「母ちゃんがいるから大丈夫」
⑤「またひとり炎に呑み込まれていった」
⑥「死体の下を川が流れていた」
⑦「焼跡で生まれた赤ちゃん」
⑧「お母ちゃん起きてよ!」
⑨「校章をみがく子供」
⑩「絵で奏でるレクイエム東京大空襲」(複製パネル)
【1階ロビー:第2期】(実物9点・複製パネル1点)
①「泣き叫ぶ少女の声が聞こえる」
②「数千人の避難民が通り過ぎていく」
③「炎の中で母を呼ぶ はぐれた子供」
④「目を潰された老人が歩いてくる」
⑤「橋から飛び下りるしかなかった」
⑥「地獄の夜が明けた」
⑦「お姉ちゃんは泣かないよ」
⑧「深夜の直撃弾」
⑨「明治小学校講堂に寝る」
⑩「絵で奏でるレクイエム東京大空襲」(複製パネル)
【5階ギャラリー:第1・2期共通】(実物9点)
①「死の行進」
②「清澄庭園冷たい池の中で」
③「太陽も泣いている」
④「また一人炎に呑み込まれていった」
⑤「奪われたすべてを返せ」
⑥「ホロコースト、東京大空襲」
⑦「のばあきちゃんは東京原人」
⑧「お! 生きていたか」
⑨「絵で奏でるレクイエム東京大空襲」
【関連映像上映:1階ロビー】
「ほら、太陽も泣いている ~村岡信明さんの体験談~」(昭和館 オーラルヒストリー)約18分