このたび昭和館では、「あの夏の記憶を永久に ~60年前の日本の姿~ 」と題し、特別企画展を開催する運びとなりました。
今から60年前、日本は先の大戦で戦地ばかりでなく、銃後においても激しい空襲を受けて多くの犠牲者を出し、原爆の投下を機に敗戦をむかえました。開戦前から、政府は空襲を想定して防空のための指令を下し、民間においても様々な工夫がなされました。隣組や婦人会が再編成され、防空訓練が本格化し、防空壕などの施設整備も盛んに行われるようになります。しかし、これらの備えにもかかわらず、昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲をはじめとした各地の都市や工場・軍事施設などへの空襲は、人々の暮らしに多大な被害を及ぼしました。
本展は、戦後60年を迎える今年、防空の備えをはじめ、全国各地が焼け野原と化した空襲の実態を紹介し、人々が経験した戦争の悲惨さ、虚しさを後世に伝えようとするものです。
【会期】平成17年7月23日(土)~8月28日(日)
昭和3年(1928)に大阪市で日本最初の都市防空演習が行われ、以降都市部を中心に、防空演習が実施されるようになった。政府は、昭和12年(1937)制定の「防空法」によって、各市町村に防空計画の作成を義務づけ、戦時体制を強化し、市町村の指導で部落会や町内会組織を整備するなど、銃後を護る組織づくりがすすめられた。
昭和17年(1942)4月18日には、東京・川崎・横須賀・名古屋・四日市・神戸などの諸都市に対して本土初空襲が行われた。戦局の推移と共に大規模な空襲が現実のものとなってきた昭和19年からは、人員・建物疎開が行われたが、特に学童に対しては同年8月から集団疎開も実施されるようになった。
公園で群衆を前に防空の必要性を説く愛国婦人会員
昭和19年(1944)6月、中国大陸から離陸したB29により北九州の工場地帯が空襲をうけ、サイパン島の陥落により同年末からは東京を初めとした全国の都市への空襲が本格化した。さらに、昭和20年3月10日未明の東京大空襲を境として、一般市民を対象とした住宅密集地への無差別絨毯爆撃が実施されるようになった。そこで使用されたのは大量の焼夷弾で、その前には防空演習や消火道具などの備えは無に等しいものであった。
ここでは、全国の被災状況や大空襲・原爆など、各地の空襲の様相を伝える資料を紹介する。
東京大空襲をくぐり抜けた火鉢
空襲によって家を失った人々は、廃墟と化した焼け跡でバラックでの生活を余儀なくされた。食糧の確保にも苦労する日々が続き、特に都市部での生活は混乱を極めた。衛生状態も悪く、バラック生活、買い出し、闇市などに見られるように、人々は貧しい生活に耐えていた。
バラック建ての都営住宅(長野重一撮影 1950年代)
長編アニメーション映画「ガラスのうさぎ」(2005年作品) 84分
会場:九段会館ホール
平成17年8月20日(土) 上映時間/1回目 10:30~ 2回目 13:30~
各回 800名
60年前の空襲の様子を体験者の方々にお話しいただきます。
平成17年8月7日(日) 14:00~
会場:九段会館 孔雀の間
※当日13時30分から昭和館受付にて整理券を配布します。
平成17年8月21日(日) 11:00~ 14:00~
会場:3階会議室
○ 小学生を対象としており、親子で参加していただきます。
○ 各回の定員は親子10組、電話でのご予約が必要となります。
○ 参加費は無料です。