昭和5年(1930)頃、飴などを売ることで商売する街頭紙芝居が始まり、「黄金バット」や「少年タイガー」などの娯楽作品の人気とともに全国に広がっていきました。
一方、街頭紙芝居の作品の低俗性を憂い、キリスト教や仏教の布教や、教育にも紙芝居が導入されました。13年、日本教育紙芝居協会が設立されると、積極的に国策紙芝居が印刷紙芝居として出版されるようになりました。印刷紙芝居は大量に作られ、全国の学校や隣組の常会などで子どものみならず大人にまで利用されるようになったのです。
戦時中も検閲を受けていた紙芝居は、終戦を迎えても、日本での紙芝居というメディアの重要性がGHQ(連合国総司令部)により指摘され、検閲が行われるようになりました。そのようななか、戦争とともに姿を消していた街頭紙芝居はいち早く復活し、戦前以上の人気を博するようになりました。しかし、街頭紙芝居は、一点物の手書きの紙芝居を配給する制度が負担となり、その後、テレビの登場とともに次第に姿を消していきました。
一方、印刷紙芝居は、戦中・戦後を通して国策や宗教普及、学校教育などに利用されましたが、現在でも、マンガやアニメなどを題材にした娯楽紙芝居や、学校などで行われる教育紙芝居として引き継がれています。
本展示では、昭和館が所蔵する500巻以上の資料を中心に、娯楽のみならず教育・国策にも利用された紙芝居について、紙芝居の誕生から最盛期と衰退、さらに現在に至る紙芝居の新たな展開までを概観し、今もなお魅力を失わない紙芝居の世界を紹介します。
主催 | 昭和館 |
会期 | 平成24年3月17日(土)~5月13日(日) |
会場 | 昭和館3階 特別企画展会場 |
入場料 | 特別企画展は無料(常設展示室は有料) |
開館時間 | 10:00~17:30(入館は17:00まで) |
休館日 | 毎週月曜日、4月30日は開館、5月1日は休館 |
「紙芝居と言えば黄金バット、黄金バットと言えば紙芝居」というように黄金バットは紙芝居のキャラクターの中で一番人気であった。その始まりは昭和6年、それまでの怪盗バットをやっつけるヒーローとして、永松武雄により、黄金のどくろ面に、はなやかな中世期風のコスチュームで描かれた。その人気は、昭和8年まで続き、あまりの人気に偽物も登場した。永松武雄の後は、加太こうじが黄金バットを描くようになる。その後、下火になっていた街頭紙芝居も戦後加太こうじにより「黄金バット」で復活する。永松健夫はマンガとして『冒険活劇文庫』創刊号から連載を開始、表紙を飾る。その後、映画やテレビなど様々なメディアに登場することとなる。
永松武雄画「黄金バット」36枚
現存する紙芝居「黄金バット」の中で最も古い、昭和6年頃のものと思われる。未公開の作品が半数。裏書きがあることも判明した。
谷口陽子蔵
街頭紙芝居は昭和6年(1931)頃に始まり、昭和12年頃に最盛期を迎えた。その紙芝居の人気によりレコード紙芝居も販売されるようになった。一方、街頭紙芝居の低俗性を憂い、紙芝居の可能性を見いだした今井よねらによって教育紙芝居が印刷紙芝居として全国的に普及することとなる。昭和13年(1938)には日本教育紙芝居協会が設立され、時局的な内容も含め多くの印刷紙芝居が刊行された。
項目名: 貸し元の組織化、紙芝居団体名、宗教普及のための紙芝居、疎開中の紙芝居
実物資料例: レコード紙芝居「防空は防火なり」(セット揃、昭和17年)
「少年ダビデ」、「チョコレートと兵隊」、「神兵と母」など
日暮里旭町で松島会の森下貞三が上演している様子。
昭和7年(1932)頃
森下貞三提供
紙芝居トーキー「防空は防火なり」
飛び出す絵本の方式で、レコードを聴きながら本をめくっていく。
昭和17年(1942)頃
「少年ダビデ」
教育紙芝居を始めた今井よねの作。
昭和8年(1933)
紙芝居「神兵と母」
「少年タイガー」で街頭紙芝居を一世風靡した山川惣治による国策紙芝居。
昭和19年(1944)
終戦を迎え、GHQ(連合国総司令部)により様々なメデイアが検閲されたが、紙芝居も同様であった。そうしたなか、街頭紙芝居がいち早く復活し、再び子どもたちの人気を集めた。終戦直後の職の無い時代に比較的簡単に始められるため、紙芝居屋になるものも増え、昭和25年には全国で5万人に至った。その後、テレビの普及などの影響で、街頭紙芝居は衰退していった。しかし、印刷紙芝居は、キャラクター紙芝居や学校紙芝居として活用され続けた。また、一部現在でもイベントなどを通して街頭紙芝居を引き継ぐ人々もいる。
項目名: GHQによる検閲、印刷紙芝居の検閲、紙芝居倫理規定管理委員会、紙芝居屋のしくみ
実物資料例: 墨塗り紙芝居、「画劇略図集」、印刷紙芝居「この子を残して」の原画
墨塗り紙芝居「銅像物語」
「戦死をなさった」「間もなく、大東亜戦争が勃発した」などに墨が塗られている。
劇画略図集No.21 橋 12巻
街頭紙芝居の作画の為の絵コンテ。街頭紙芝居では、短時間で仕上げるために、このような指示書きはほとんど作られることがなかった。
松島会の森下正雄さんの上演風景
森下昌毅提供
画稿「この子を残して」
永井隆原作の小説「この子を残して」を紙芝居化する際、安西啓明によって描かれた原画。
街頭紙芝居は、マンガ(「キンちゃんコロちゃん」など)、現代物(「母子草」など)、時代劇(「鞍馬天狗」など)、冒険物(「黄金バット」など)、怪奇物(「墓場奇太郎」など)など、様々なジャンルがあり、その他、クイズなどがあった。
印刷紙芝居は、さまざまな分野でひろく利用された。戦時中は、ニュース映画のかわりに紙芝居でニュースを伝えたり、メディアの役割を担った。戦後は、GHQ(連合国総司令部)により、日本における「紙芝居」の重要性が指摘され、その存在がアメリカでも知られるようになった。そのようななか英語の紙芝居も発売された。さらに社会教育や学校教育にも積極的に利用されるようになった。
《冒険もの》
「バット小僧 火焰魔王 6」
パンゴラ国を火の海にするためやってきた火焔魔王と手下のスカーレッドサタンにバット小僧が立ち向かう。
製作:自由
昭和31年(1956)頃
《マンガもの》
「ハリケンピーちゃん」1957巻
ピーちゃんとタヌキのポン太がいろいろな遊びを通してくり広げるドタバタ劇。
「発明王 エジソン」
英訳付きの紙芝居
昭和25年(1950)
「新イソップ物語 とん子とこん吉」
法律を分かりやすく解説した紙芝居。
昭和24年(1949)
毎回違うテーマで紙芝居を行います。また、3回目には参加型イベント(ワークショップ)を行います。
日時 | 3月25日、4月8・15・22日、5月6日(日) |
時間 | 1回目13:00~、2回目14:00~、3回目15:00~ |
会場 | 昭和館1階ニュースシアター |
桜の開花時期に、2階ひろばにおいて遊びを中心としたイベントを行います。
日時 | 3月31日(土)、4月1日(日)11:00~15:00 |
会場 | 2階ひろば |
担当者による、展示解説を行います。
日時 | 4月14日(土)、4月28日(土) 14:00~14:45 |
会場 | 3階特別企画展会場 |
開催 | 平成24年3月 |
タイトル | 昭和の紙芝居~戦中・戦後の娯楽と教育~ |
在庫 | ※在庫なし |
目次情報 | プロローグ 黄金バット・アラカルトⅠ 戦中の紙芝居 1.紙芝居の源流 2.街頭紙芝居の人気と業者の統合 3.レコード紙芝居 4.教育紙芝居の登場 5.国策紙芝居 Ⅱ 戦後の紙芝居 1.紙芝居の検閲 2.街頭紙芝居の復活と衰退 3.紙芝居屋さんの活動 4.紙芝居の現在 Ⅲ いろいろな紙芝居 1.街頭紙芝居 2.印刷紙芝居 街頭紙芝居の草創期を支えた三人(三谷 薫) 黄金バットは不死身だ!!(梅田佳声) 戦前・戦中の貸元一覧(関東) 昭和館所蔵のレコード紙芝居音源一覧 日本教育紙芝居協会活動一覧図 紙芝居に関わる人々と資料との出会い(渡邉一弘) 昭和館について 目 録 協力者一覧・参考文献 |