昭和館では、11月2日(火)~23日(火)まで「絵日記に見る戦中戦後のくらし」と題し、企画展を開催いたします。本展では、当時の食糧事情や暮らしの様子、そして学童学徒の疎開や勤労などに関連する当時の貴重な絵日記や絵日誌を展示いたします。戦中戦後の日々の暮らしをつづった絵日記を通して、生活上の様々な労苦を振り返っていただくとともに、当時の人々の「思い」に触れていただきたく存じます。また絵日記の内容に対応する当館所蔵の実物資料もあわせて展示いたします。
1.家庭の営み
当時の貧窮に面した食糧事情を主たるテーマとして、日々の生活や台所での営みを母の姿などを通してご覧頂けます。ここでは当時の生活風景を物語る絵日記を展示いたします。
2.学童疎開と勤労動員
親と離れて暮らす子供たちや勤労に従事する学徒の姿を主たるテーマとして、疎開先での学業と労働、そして親との面会の様子などを通じて当時の労苦を振り返ります。疎開先で描かれた絵日記を中心に展示いたします。
3.空襲下の暮らし
空襲に対する備え、そして不安をテーマとして、絵日記に描かれた空襲の様子や防空壕の中で身を寄せる人々の姿を通じて当時の労苦を振り返ります。
4.終戦そして戦後
終戦と戦後の状況を物語る絵日記や絵日誌を展示し、その混乱の中で労苦をしのぐ遺児たちの姿や、戦後の生活を振り返ります。
5.ビデオ映像
絵日記の中から数点を選び出し、それらをビデオ化した20分程度の映像を上映いたします。
勝矢武雄さんの絵日記
昭和19年頃
楠公飯
新聞に少ない米をふやして食べる方法として「楠公飯」のことが出ている。
楠公飯とは、楠正成が千早城だか、赤坂城だかに篭城中、飢えを凌ぐ食糧増量の法として発明した飯の炊き方だそうな。
まず、米をホーロクで煎り、その米の三倍量の熱湯中に投じ、長時間かけてたきあげる。
やってみると、分量はたしかに驚くほどふえるが、そのまづいこともお話にならない。いくら量ばかり増えても、と、ひもじい家の連中も、二、三回で楠公飯はご免だといい出した。
幸夫と英夫とが夜中の一時半までかかって買ってきた野菜。にんじん、ごぼう、ほうれん草。此の代金八円三十銭、勿論闇價なり。
小沢千鶴子さんの疎開先での絵日記
馬込国民学校(昭和19年 静岡県・岡部 光泰寺へ疎開)
九月二十八日 木曜日 晴
今日、太田さんが耳のおいしゃへ行く。私はめいしゃへ行くので一緒にいった。かへりが少しおそくなったので、みんなは晝食を終わってゐた。
おかづは、さつまいものにたのと、たまねぎのにたのだった。お皿につけてあった。おやつは青りんごだった。とてもやはらかかった。その後寫生をした。私は、西田さん達と一緒の所を書いた。夕方、うめぼしを、とりに行った。役場の人にうめぼしを一ついただいた。學校でリヤカーをかりた。そのあと、岡部町國民學校へ映畫を見に行った。
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